「メンクイ!」でお馴染みの歌舞伎町ホストクラブ「Men's & Queen」。売上、ルックス共に誰もが認める人気ホスト「愛夢路 澪」さんを独占取材しちゃいました!!
若干22歳にして、年間1億円を売り上げる男の私生活や、そこに至るまでの経緯など、これを見れば愛夢路 澪のすべてが分かる!!
Men’s & Queen取締役の愛夢路 澪です。今日はよろしくお願いいたします!
東京上京を決意した18歳の少年
僕は元々、福島県の福島市出身で思春期の頃はチャラチャラした悪ガキでした。
その当時は、東北エリアでそれなりに有名なギャルサークルの統括をやっていて、クラブのイベント時には、東京から雑誌の取材が定期的に来ていて良く取り上げてもらっていたんです。
その雑誌の中で読者投票で選ぶモデルオークションが開催されるということを知り、自分もエントリーさせてもらったんですが、断トツの票を獲得して念願だったモデルデビューすることになったんです。
ただ・・・若気の至りで高校を退学してしまって(笑)このままじゃダメだ!という考えが強くなり、18歳になった頃には憧れだった東京へ上京したいと考えはじめました。
東京上京前の愛夢路澪さん
片道切符でいざ東京へ。成功するまで戻らないつもりだった・・・
「東京で成功したい」という気持ちが変わることはなく、当時の全財産7万円だけ握りしめて東京へ上京したんです。知り合いもいなければ住むところも無い状態で。
もちろん、新幹線なんて高くて使えませんから、在来線で6時間位かけてこっちに来たことを今でも覚えてますよ。
「成功するまで戻らない!」という意志だけは固かったので、何があっても成功してやるという気持ちだけでの上京でしたね。とは言っても、何で成功するかも決まってなかったんですけどね・・・若さの勢いってやつです(笑)
ホストになったきっかけは新聞配達で出会ったキャバクラ譲
もちろんモデル業だけでは食べていけないんで、東京に来てまず行ったのは職探しです。
1番最初に就いた仕事は新聞配達。新聞配達って配達だけでじゃなくて営業もあるんですよ。その当時の上司が「今まで誰も契約してくれないマンションがあるからお前、試しに営業かけて来いよ!」ってすごい無茶ぶりされて・・・
試しに飛び込み営業をかけた部屋から出てきたのは、キャバクラ譲でした。その時に「連絡先教えてくれたら契約してあげるよ」って感じで・・・絶対に契約取れないといわれていたマンションで、まさかの契約取ってきたんです・・・(笑)
その後も、新聞配達の仕事を寝る間も惜しんでやってたんですが、あまりの激務にこのままではマジで過労死する・・・。なんて思ってた時、飛び込みでたまたま契約したあのキャバクラ譲から連絡があったんです。
電話の内容は、「ホストやってみない?」というなんかドラマのような展開で。「寝る時間ある?」と聞いたら「あるよ!」って言うんで、その女性からの紹介でホストデビューしたんです。
ホストになるきっかけが、お金ではなく「寝る時間があるかどうか」を基準にしていた当時は、本当に疲れ切っていたんだな・・・と思いますよ(笑)
「だいきゅん」の愛称で親しまれ、雑誌モデルとしても活躍
東京の小岩でホストデビュー。そこで知り合ったのは・・・
キャバクラ譲に紹介されたホストクラブは東京の小岩でした。自分がお店に入店した当日、本入店したホストがもう1人いたんですけど、それが、まさかのホスト界では超有名人だった「大空翼」さんだったんですよ(笑)
翼さんは入店初日からシャンパンはバンバン入れるし「本当に凄い人がいるもんだなー」ってちょっと感動しましたね。新人だった自分は、売上も全然なかったんですけど、若かったこともあって翼さんにもお店の方にも結構可愛がってもらってたんです。
寮として一軒家借りてもらったり、至れり尽くせりだったんで働く環境は凄い良かったんですが・・・
「自分で稼いで自立したい」って気持ちが強かったんで、そこまでお店のお世話になるのも嫌だったんですよね。そんな時に、翼さんが「俺んちに来るか?」と誘ってくれて、家に転がり込んだんです。
有名ホスト「大空翼」との共同生活
翼さんとひとつ屋根の下で生活したのは1ヶ月くらいでしたが、人生でここまで勉強になった期間は今後もないでしょうね。ただ生意気なガキだった自分に対して、社会の厳しさや人として当たり前の事を教えてくれたのも翼さんでした。
先輩の翼さんが作った料理を先に食べたりしてましたからね・・・完全にナメたガキですよね(笑)
当時は「自分さえ良ければ」という考えがあったけど、翼さんに出会ってからは組織の中で働くことのルールや、ホストとして大切なことなど、この1ヶ月で学べたことは自分にとって大きな財産となっています。
伝説のホスト「大空翼」
ホストの聖地「歌舞伎町」へ
小岩でのホスト生活にも慣れてきたころ、当時のお客さんに「歌舞伎町でホストやってみたら?私がNo1にしてあげるよ」と言われ悩んだ結果、歌舞伎町で挑戦してみることにしたんです。
歌舞伎町のホストデビュー店はageha grouoの本店「ageha -swallowtail-」でした。
ageha -swallowtail- 入店時
歌舞伎町での失敗と運命を変えた言葉
歌舞伎町に移籍してからは、負けず嫌いなこともあり毎日を全力で努力しました。
入店から3ヶ月後には、ナンバー入りも果たし、売り上げも順調に伸びホストが楽しいと思えたのもこの頃でした。そんな順風満帆な日々が崩れたのは入店から約1年後、売掛500万円を残したままお客様がいなくなってしまったことがあったんです。
今ならどうにかなりますが、当時の僕には大金ですし、ヘコみ過ぎて3日間ゴミ箱見つめてましたから・・・(笑)
「自分は今後、どうなっちゃんうんだろう?」っていう不安しかなかったのですが、そんな落ち込んでいる時にagehaグループの会長に声を掛けてもらったんです。
「お前、いくら稼ぎたいんだ?」突然、そう聞かれた自分は「・・・12億稼ぎたいです!!」と、答えたんです。
会長は「なら、500万なんかでクヨクヨするな。そんな金額すぐに取り戻せるから、お前がこのお店でやっていけると思うなら信じてついてこい」そう言ってくれたんです。
その他にも、自分に足りないと感じていた部分をバシバシ指摘され、「この人に信じてついて行こう」「絶対に成功してやる」と自分の心に火が付いた瞬間でしたね。この言葉が、自分の中で再挑戦する決意をさせてくれた運命の言葉でした。