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ファミレスもラーメンも禁止。立川で売上2000万を記録

かつて西東京のホスト激戦区と言われた立川。最盛期には約15店舗のホストクラブが営業を行い、数々の売れっ子ホストが誕生していました。今回の主役、DRESS SKULL 愛沢ミナト社長もこの街で伝説と呼ばれたホストのひとり。長年この街で戦い、生き残ってきた愛沢ミナト社長が見た立川の過去。そしてこれからの未来について語っていただきました。

キャバクラオーナーとしての成功と失敗

— 今日はよろしくお願いします。まず、自己紹介からお願いします

ミナト社長:DRESS SKULLの愛沢ミナトです。こちらこそよろしくお願いいたします。

— 早速ですが、ミナト社長がこの世界に入ったキッカケを教えてください

ミナト社長:僕がこの世界に飛び込んだのは18歳の頃でした。最初はキャバクラのボーイからスタートして、そこでの経験を積み重ね20歳の頃に独立。自分のお店をオープンさせたんです。

— 20歳という若さでよく開業資金が集まりましたね

ミナト社長:当時、お付き合いしていた方の母親が東大和市にビルを持っていたんです。このビルにパブが入っていたんですけど、閉店してテナント募集しているという話が回ってきました。元々パブが入っていた箱なら居抜きでそのまま使えるし、彼女の親が管理しているのでお金の面でも色々と融通が利く。僕にとってはかなりの好条件だったんです。とんとん拍子に話が進みその箱でキャバクラをオープンした流れですね。

— そのキャバクラのお店は、順調だったんですか?

ミナト社長:そうですね。売り上げはかなり良かったです。働いている女の子に毎日給料を渡していましたけどかなりの金額が手元に余る。営業が終わると余ったお金で飲みに行き全部使い果たす…そんな毎日でしたね。ただ、経営者としての実績がなにも無かった僕でしたので、1年経たずにお店を潰してしまったんです・・・。

— そうだったんですね。いったい何があったんですか?

ミナト社長:いわゆる"違法営業"ですね。当時の僕は「風営法」すらよく理解していなくて、警察に踏み込まれてあっけなく閉店。当時付き合っていた女性とも別れてホストになろうと決めたんです。

立川でホストデビュー

— ホストデビューしたのは何歳の時ですか?

ミナト社長:今から約10年前。21歳の時でしたね。

— キャバクラ経営からホストに転身しようと思ったキッカケは?

ミナト社長:キャバクラオーナーのときは、女の子を従業員として雇い給料を払ってきましたけど、この女の子たちをお客さんとして呼ぶ側の仕事をしてみたいと思ったんです。20歳のときにはある程度まとまったお金が入ってくる生活が出来ていたし、この先も高収入を得られる仕事となると単純にホストかなって。

— 当時の立川は店舗数も多かったと思いますけど、お店選びはどうやって行ったんですか?

ミナト社長:当時、立川で働いていた友人がうちのオーナーを紹介してくれたんです。友人は立川の他のお店で働いていたんですけど、今は既に閉店してしまいました。あの頃は店舗数もこの街のホスト人口も多くてかなりギラギラした時代でしたね。

最盛期の立川

— 今の立川と現役プレイヤー時代は、変わりましたか?

ミナト社長:そうですね。良い意味でも悪い意味でも変わったと思います。僕が現役を引退したのは約6年前。その頃は店舗数も多くてホスト遊びをする女の子も多かった時代です。ライバル店も多かったし街全体に活気がありましたね。

— そんな勢いのある時代に何故、プレイヤーを引退したんですか?

ミナト社長:簡単に言ってしまえば「世代交代」をしなければいけないと感じていました。ホストの仕事って一生続けることは難しい仕事です。次のステップにも行きたかったし、若い世代にもバトンを渡したかった。引退後は社長という立場になり、店舗の運営面や従業員の育成に力を注いでいます。

— ミナトさん現役引退イベントは、立川でも伝説となりましたよね

ミナト社長:僕の知る限りでは立川エリアで最高の売り上げだったと思います。24ヶ月連続No1を獲得し25ヶ月目がちょうどバースデー月。その月で現役引退を決めた「ファイナルバースデー」のイベントで過去最高の売り上げをつくりました。

— 売り上げはどのくらいだったんですか?

ミナト社長:現金入金で売上が2000万円です。自分の中ではこの立川という街で大きな結果を残せたことがとても嬉しかったですね。

24時間ホストでいるということ

— ミナト社長が現役時代に心掛けていたことはありますか?

ミナト社長:24時間ホストでいることですかね。"お店にいるときが仕事"という考えのホストが多いと思いまけど、営業時間外こそがホストの仕事だと僕は思います。営業時間外でどれだけ自分自身を磨き、最終的にお店に来てもらえるか。お店の営業時間は「自分という商品を売り込むための発表会」なんです。僕は常にそういう考えでいましたね。

— 入店当初の下積み時代はなかったんですか?

ミナト社長:元々キャバクラ経営をしていたこともあり女の子と接する機会も多かったので、ホストとして働いてからすぐに結果はついてきましたね。お金に困ったこともなかったし環境も良かった。僕は今でも「ホスト」という仕事は天職だと思っています。

— 他に心掛けていたことはありますか?

ミナト社長:僕の生活でホストという仕事は常に最優先してきました。ホストがあってその後に私生活。これって言葉で言うのは簡単ですけど意外とできないんです。身内に不幸があったときでもお客様との約束を優先しましたし、仕事に支障がでるようなことは避けていました。「ホスト業務を通して己を磨く」ということが自分自身の本筋なんです。

— ホストという仕事に対して辛いと感じたことはなかったんですか?

ミナト社長:正直、毎日辛いですよ・・・。24時間ホストでいるということはお店の外でもプライベートでも自分を下げるような発言、行動はできませんから。当時はお店でラーメン食べることもファミレスで食事をすることも禁止。そういう時代でしたからね。

— そこまでして仕事を続ける理由はどこにあったんですか?

ミナト社長:すべては給料日で忘れられます。努力がすべて結果として現金になりますからね。これこそがこの仕事の醍醐味であり、楽しさなんです。

これからの目標

— 最後にこれからの目標をお聞かせください

ミナト社長:立川エリアのホストクラブも一時期に比べて減少しましたが、今の時代も営業を続けているお店は本物のお店だと思います。厳しい時代だからこそチャンスはあると思っています。時代の変化に合わせて様々な角度からお店を改革し、お店を盛り上げていきます。そして最終的には立川という街全体を盛り上げていきたいですね。

うちのお店もそうですが、大学生やWワークのアルバイト出勤が可能な勤務形態を取り入れているお店も増え、かなりアットホームな環境になったと思います。服装も私服スタイルがOKになり、ホストという仕事を気軽にはじめることができるようになりました。この記事を読んでホストという仕事に少しでも興味をもってもらえたら嬉しいですね